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■■ 駿遠線こぼれ話 第六話 ■■
日本初の車両と、兄弟の車両
静岡鉄道駿遠線では、気動車のことを内燃客車と呼んでいました。駿遠線での歴史は古く、その導入は、前身の旧中遠鉄道(昭和4年、キハ1)と旧藤相鉄道(昭和6年、キハ1)に溯ります。
駿遠線では全線廃止まで全部で20両存在しましたが、いずれも個性派揃い。キハDというボギー式と、キハCという片ボギー式があり、外観はバラバラでしたが、エンジンの性能はほぼ同じ。
いずれも快速列車から普通列車まで幅広く運用されていました。なかには歴史的に価値のある車両と、不思議な縁をもった車両もありました。
1.日本初の車両たち
昭和4年当時の中遠鉄道では、台頭しつつある乗合自動車(バス)との対抗策で、他社で評判の良かったガソリンカーを導入する決意をしました。当時は内燃機関技術が未発達で、軽便鉄道用ディーゼル車はまだなく、ガソリンエンジンを搭載したガソリンカーが主でした。しかし中遠鉄道のような軽便鉄道に適した、優秀かつ故障の少ないガソリンカーを選ぶことは容易ではありません。中遠鉄道では全国の鉄道車両メーカーを調査し、ようやく東京の松井自動車工作所というメーカーを探し当て、日本で初の片ボギー式ガソリンカー(キハ1)の製造を依頼しました。片ボギー式というのは、2軸車の1軸側に相当する固定台車と、通常のボギー台車とを掛け合せたものです。ガソリンエンジンからの動力伝達は、首を振るボギー台車ではなく固定された1軸台車に行うため、構造が簡単で整備も容易でした。受注した松井側でも軽便鉄道での実績はなく、技術者が何度も出張して、中遠側の現場担当者と意見交換をしました。こうして日本初の片ボギー式ガソリン動車「キハ1」が誕生しました。様々な試行錯誤のうえ昭和4年4月、1号機ともいえるキハ1が中遠鉄道に到着。車両メーカーの技師が出張し慎重に整備が行われ、試運転では終点までたどり着けるかと心配されたりもしましたが、キハ1は故障も事故もなく快調に走りました。満を持して登場したキハ1は、蒸気機関車で35分を要していた新袋井〜新横須賀間1
0.3kmを28分で走破。煙も出ず快適で早いとの評判が立ちました。中遠鉄道はその後静岡鉄道に合併し、キハ1もガソリンエンジンをディーゼルエンジンに換装し、形式も3軸内燃客車(片ボギー式)の意味で、キハC1に改称されています。
一方キハD11は静岡鉄道になった後の増備車で、元は鞆鉄道のキハ3でした。鞆鉄道というのは、広島県の福山と瀬戸内の鞆(鞆ノ浦)を結んでいましたが昭和29年に廃止されました。
鞆鉄道からはキハ3〜5がやって来ましたが、同形の車両は1両もありませんでした。静岡鉄道ではキハ3→キハD11、キハ5→キハC12、キハ4→キハC13(後にキハD13)となりました。このキハD11という車両は昭和3年の松井自動車工作所製で、日本初の軽便鉄道用ボギー式ガソリンカーでした。先の中遠鉄道キハ1の先輩車両にあたり、奇しくも静岡鉄道駿遠線には、日本初の片ボギー式とボギー式ガソリンカーが揃ったことになります。
ここでいう松井自動車工作所とは、東京の蒲田にあった松井三郎という人の個人経営企業で、わが国の鉄道用内燃車両(気動車)の草分けでした。この会社は商標や特許に無頓着だったせいか、当初松井工場、次いで松井自動車工作所、後に松井車輌製作所とたびたび社名を変更しています。ここでは日本初の軽便鉄道用ボギー式ガソリンカーに次いで、片ボギー式ガソリンカーも初めて製造した実績をもちます。しかしこの業界には後に大手車両メーカーが次々と参入し、松井自動車工作所の名前は歴史から消えて行きました。
2.兄弟の車両たち
キハD10は静岡鉄道になってからの増備車で、元赤穂鉄道のカ6ですがさらに前身は、立山鉄道(現在の富山地方鉄道立山線の一部)のキハ2でした。生まれは日本車輌(日車)昭和5年製で、半鋼製(鋼鉄枠に木材仕上げ)の「片ボギー車」でした。この車両は赤穂鉄道時代、ボギー式「機関車」に改造された過去があります。すなわち昭和25年森製作所において車内の座席を撤去し、ここにND4型ディーゼルエンジンを据付け、かつての1軸動力台車をロッド駆動の菱枠ボギー台車に交換しました。こうして外観は内燃客車(ボギー車)ながら、軸配置B−2という珍無類なディーゼル機関車として活躍していました。しかし昭和26年、赤穂鉄道は国鉄赤穂線の開通によって廃止され、同機は静岡鉄道駿遠線に迎えられました。入線後の昭和32年、自社の袋井工場で再び大改造を行い、床を貫通していた室内大型エンジンとシャフトを、床下駆動の普通のディーゼルエンジンに改造しました。合わせて座席復元とともに窓2枚分車体を延長し、輸送力においても問題ないように大型化しました。車体正面は中央がやや広い3枚窓で、ヒサシが付いていました。割合と均整の取れたスマートな車両でした。
キハD13(キハC13)も静岡鉄道になった後の増備車で、元鞆鉄道のキハ4でした。日本車輌(日車)昭和5年製の半鋼製車で、前述の立山鉄道キハ2と同形式で、同じ図面から同時に製造されました。昭和29年入線後しばらくは片ボギー式のまま使用されていましたが、昭和33年に自社工場で窓2枚分車体を延長し、ボギー車化改造されキハC→キハDとなりました。前述のキハD10とは同じ日車生まれの双子の兄弟車両で、奇しくもこの地で再会したばかりではなく、同じ改造を受けて共にボギー車化されています。台車は元の側が菱枠型で、新しく取付けた動力伝達側は偏心型菱枠台車でした。これら転入車両たちは、自社工場製のキハD14系(キハD14〜キハD20)ができるまでの主力車両となり、快速列車(全線直通快速にも)運用されていました。
[静岡鉄道では、当初不足する車両を廃止された他鉄道に求めていました。やがて他鉄道からの車両調達も底を尽き、増加する一方の乗客に車両増備が追いつかなくなり、ついに内燃客車の自社製造を決意しました。袋井工場で基礎台枠や台車から製造し、車体は当時流行の湘南型(正面2枚窓を傾斜させたタイプ)とバス窓(2段窓の上段をHゴムで固定)で優美に仕上げました。全部で7両製造され、このうち3両が駿遠線全線廃止の最後の日まで活躍し、長い歴史に幕を閉じました。]