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■■ 駿遠線こぼれ話 第九話 ■■
多数派と少数派
(2002. 1. 9 改訂)
藤相鉄道と中遠鉄道は、ともに蒸気機関車4両で開業しました。これらは藤相鉄道ではドイツ製、中遠鉄道ではイギリス製の機関車を揃えてのスタートでした。
藤相鉄道で最初の4両は、ドイツのコッペル社製でした。コッペル社といえば約16,400両におよぶ機関車を製造し、わが国でも実に500両近くが使用された、軽便鉄道用機関車の代表メーカーでした。この会社はすでに機関車製造部門からは撤退していますが、現在でもドイツを代表する機械メーカーとして盛業中です。いわば藤相鉄道は多数派機関車を使用していたことになり、その後も12両中9両はコッペル社製でした。残り3両ですが、うち1両は中遠鉄道から譲受けたイギリス製機関車で、約2年使用後に売却してしまいました。そして他の2両は、実はコッペル社製を入手したかったのですが、ある事情によりやむなく国産機(大日本軌道製)を使用しています。その事情というのが、ヨーロッパを激戦地とした第一次世界大戦です。もしこのとき大きな戦争がなければ、短期間で手放した1両を除き、藤相鉄道は全機ともドイツのコッペル社製を使用していたことになります。
ちなみにこれら機関車は部品を木箱に入れてドイツから船積みされ、国内では国鉄貨車で運ばれ、さらに藤相鉄道へは牛車に牽かれて納入されました。馬車はこの種の輸送には不向きだったそうです。藤相鉄道が大井川で分断されていた時は、有料の木橋を渡って運ばれ、大幡側で技術者によって組立てられたそうです。
これに対し中遠鉄道で最初の4両は、イギリスのバグナル社製でした。同社は約3,000両の機関車を製造し、わが国では14両ほどが使用されただけでした。いわば少数派機関車に属します。中遠鉄道用の4両はたいへん小型で、重量は5.75t。動輪径も1フィート7インチ(約483mm)しかなく、地方鉄道建設規定の下限数値457mmにギリギリでした。もちろんわが国の軽便鉄道用機関車として、最小の部類に入ります。これは中遠鉄道がイギリス製機関車を指名したからではなく、レールその他の資材を発注した大阪の範多商会が、イギリス人創立の会社だったからです。そしてこの機関車は、燃費を考えての選択だったようです。
その後4両のうち1両は、前述のように藤相鉄道に譲渡され、人車軌道だった大井川木橋の動力化に試用されました。しかし自重6tに満たない機関車でも、木橋では使用に耐えられないことがわかり、結局転売されています。藤相鉄道がこの機関車を手放したもうひとつの理由は、動輪径があまりに小さく、速度が出ないことでした。藤相鉄道も中遠鉄道も、国鉄連絡(当時省営)が重要な使命でした。ところがこの機関車はあまりに小型のため、いったん遅れ出すと懸命に運転しても速度が上がらず、接続列車に間に合わなくなることがたびたびあったそうです。
このような小型機関車ながら、中遠鉄道あるいは静岡鉄道中遠線は平坦だったので、残り3両は戦中戦後の混乱期にも重宝がられて活躍しました。しかしその後、あまりに小型だったためディーゼル機関車に改造されることもなく、昭和27年に全車解体されました。珍しくも惜しい機関車でした。