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■■ 駿遠線こぼれ話 第十話 ■■
道路の上の軽便鉄道
筆の向くまま拾い集めてきた駿遠線こぼれ話も、このあたりでひと段落したいと思います。まだまだ駿遠線への興味は尽きませんが、またの機会にいたします。
ところで、駿遠線が道路の上を走っていた時代があります。正確には橋の上、そう大井川の県道富士見橋の上なのですが、軽便鉄道がトラックや乗用車といっしょに走っていました。それが軽快な内燃客車(当時はガソリンカー)ならまだしも、煙を吐く蒸気機関車が牽く列車も(混合列車もあり)、自動車と同じ道路で大井川を渡っていたのです。そのため他の軽便鉄道に見られない特長がありました。
古い蒸気機関車の写真を見ると、連結器の両脇にヘンな出っ張りがあります。鉄の帯板を曲げて作った、一見バンパーを縦にしたようなものです。実はこれは、救助網の取付け台でした。ところで救助網といえば、チンチン電車でおなじみです。明治村や梅小路などで保存運転されている、あるいは各地で静態保存されている元京都市電(N電)の前には、救助網が付いています。当時の軌道法では、人命救助のためこれを付けなければならなかったのです。駿遠線でも同じことでした。
駿遠線では藤相鉄道時代、人車軌道だった富士見橋が流され、やっと県道富士見橋に併用軌道を敷くことが出来ました。大井川渡河史でいえば第2段階です。このとき、橋の上約1.6kmだけは軽便鉄道法ではなく、軌道法の適用を受けました。そのため機関車にも救助網を取付けなければならなかったのです。橋の前後は専用軌道を軽快に走れても、併用軌道上では速度制限を受け、ソロソロと走らなければなりません。そのうえ乱暴な運転の自動車と接触事故もたびたびあり、ひどいときは内燃客車が傾いて負傷者が多数出ました。このため藤相鉄道は苦労に苦労を重ね、あの大井川鉄道専用橋(木橋)を建設したのです。これが大井川渡河史の第3段、最終段階になります。ちなみに富士見橋併用軌道の時代は、大正13年4月4日から昭和12年7月9日までの、約13年3カ月続きました。
このように駿遠線からは、併用軌道区間。つまり道路の上を走るところがなくなりました。しかし世界にはまだまだ、軽便鉄道が道路の上を走るところがたくさんあります。スイスの氷河特急で有名なレーティッシュ鉄道も、一部区間は道路の上を走っています。またスイス唯一の750mmゲージである、ヴァルデンブルグ鉄道も一部道路の上を走っています。これら鉄道の沿線では、自動車ドライバーのマナーが良いのか、接触事故の話はあまり聞きません。それよりさらに傑作なのは、ドイツのバルト海の保養地、キュールングスボルンに行く900mmゲージの鉄道です。ここでは今でも全列車蒸気機関車で運転され、地元ではモリー(おデブ)のアダ名で親しまれています。それはなんと、煙を吐く長い軽便列車が、狭い街中の併用軌道を堂々と走っているからです。このため列車の後ろからは、ベンツやアウディ、ときにはトラバントなどの自動車がゾロゾロ、ノロノロとついて来るのです。狭い街中の一本道は、建物の壁が列車から1mも離れていないところもあり、まさに信じられない光景です。駿遠線の夢は、今や世界に広がって止みません。