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■■ 静岡鉄道駿遠線車両史 その壱 ■■

【 はじめに 】


1)静岡鉄道駿遠線とは

 静岡鉄道駿遠線は、駿河と遠州(静岡県中部と西部)を結ぶ長大かつ壮大な、非電化の軽便鉄道(線路幅762mmのナローゲージ鉄道)だった。その路線総延長は歴史上実に69.4kmにおよび、岩手軽便鉄道の65.5kmや十勝鉄道の64.4km(以下、筑後軌道56.7km、草軽電気鉄道55.5km、信達軌道54.0km、神岡鉄道50.8km、沖縄県営鉄道47.8km等)を凌駕する、日本一の「大軽便鉄道」だった。これは営業距離だけでいえば、大手私鉄の阪神電鉄45.1kmや相模鉄道38.1km(貨物専用線2.2kmを含む)を遙かに凌ぎ、準大手の神戸電鉄69.6kmに匹敵する規模の「軽便鉄道」だったといえよう。

 しかしその長大路線の成立は、旧藤相鉄道(駿河岡部〜大手〜地頭方間36.6km)と旧中遠鉄道(新袋井〜新三俣間17.4km)が第二次世界大戦中、国策として静岡鉄道に合併。戦後両線を元軍用軌道を転用して連絡し(地頭方〜新三俣間15.4km)、一本化したことによる。この時期旧藤相鉄道の岡部線(駿河岡部〜大手間4.8km)はすでに廃止されており、実際の営業路線距離は64.6kmだった。また駿河と遠州の境は大井川のため、駿遠線とは言いながらその路線の大半は遠州側に位置していた。

 とはいえ静岡鉄道駿遠線は、非電化軽便鉄道としては列車運転密度が非常に高く(列車運転本数が多く)、朝夕は多数の客車を連結した長大な列車が頻繁に運転されていた。また軽便鉄道として珍しく優等列車(快速列車)が定期的に運転され、一時は快速列車による普通列車の追越し(列車待避)がみられるなど、まさに大手私鉄顔負けの軽便鉄道だった。この点からも、やはり静岡鉄道駿遠線は日本一の大軽便鉄道であったと言えよう。

(2)軽便鉄道とは

 一般に線路の幅(ゲージ)が、旧日本国鉄の1,067mm(3フィート6インチ)より狭い鉄道を軽便鉄道という。しかし詳しくは、「軽便鉄道法」によって敷設された鉄道を本当の意味での軽便鉄道という。軽便鉄道法とは、明治43(1910)年4月21日公布、同年8月3日施行された法律第57号のことである。同法は全文わずか8条で、私設鉄道法準用条項7条を加えても全部で15条の、実に簡単な法律だった。その目的は地方交通の振興にあり、従来の私設鉄道法のように仮免許・本免許の二段手続きではなく1回で免許が与えられ、指定された期限内に工事施工の許可を得れば直ちに着工できた。軽便鉄道に対する建設上の規定は、主に各鉄道の特殊性を考慮してつくられた「命令書」の定めだけだった。また軌間(ゲージ:線路の幅)の制限はなく、従来からの私設鉄道あるいは軌道でも、主務大臣の指定によって軽便鉄道に変更することができた。曲線・勾配の制限もゆるやかで、駅施設や車両等についても何ら制約はなく、必要な場合は許可さえ得れば道路上への敷設も可能だった。さらに軽便鉄道補助法により、赤字でも国が欠損を補填してくれた。軽便鉄道補助法というのは、明治44(1911)年3月27日公布、翌年1月1日施行された法律第17号である。この法律は軌間762mm(2フィート6インチ)以上の軽便鉄道を対象とし、「毎営業年度に於ける益金が建設費に対し1年5分の割合に達せざる時は、政府は該鉄道営業開始の日より5年を限り其の不足額を補給すること(同法第1条)」としている。その後明治47(1914)年の改正で、補助期間を5年から10年に延長している。この補助法は軽便鉄道法が大正11(1922)年に「地方鉄道法」に変更され、発展的解消を遂げるとともに「地方鉄道補助法」となった。その後地方鉄道法は昭和61年に廃止されたが、同日から「鉄道事業法」が施行されている。

(3)駿遠線の特長

 一般に鉄道および車両の歴史を調べる場合、それらが運転された路線の成立状況や列車運行状態、すなわち列車運転距離や密度と深い関係がある。また歴史的背景や路線延長経緯、さらに動力近代化の歩みも重要な参考となる。そこで、藤相鉄道・中遠鉄道・静岡鉄道各社の略歴とともに、そこで活躍した多彩な車両たちの歴史を調べてみた。

 静岡鉄道駿遠線は、他の多くの軽便鉄道が改軌・電化の道を歩んだにもかかわらず、最後まで非電化・狭軌(762mmゲージ)を守り通した。ここで活躍した車両たちの種類は、蒸気機関車・ディーゼル機関車・内燃客車(ガソリンカー・ディーゼルカー)・客車・貨車になる。それらは母体となった旧藤相鉄道・旧中遠鉄道からの引継車両と、他鉄道からの転入車両、そして静岡鉄道になってからの自社製造車両に分けられる。なかでも自社製造車両の比率が高く、優秀な技術力によりほとんど台枠だけから全車体を製造された車両もある。

 さらに特長的なのは大井川を渡るためだけに存在した人車軌道と、そこで活躍した人車客車である。川の両岸を接続する目的だけの鉄軌道は、日本では他に例がない。また橋の強度の点から動力化することができず、人力による人車軌道として運転された極めて特殊な路線である。これは新しい橋が地方自治体(静岡県)と共同で架設された後、併用軌道として解消された。鉄道専用橋化されたのは、そのさらに後となる。この件も後章の藤相鉄道小史に、項を設けて解説している。

参考)静岡鉄道の成立

               静岡鉄道(初代)
                  ↓
 藤相鉄道  中遠鉄道   大日本軌道静岡支社   秋葉馬車鉄道
  |      |        ↓         ↓
  |      |       駿遠電気      秋葉鉄道
  |      |        ↓         |
  |      |      静岡電気鉄道 ←――――┘
  |      |        ↓
  └――――――┴―――――→ 静岡鉄道
                  ↓
                  現在

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