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■■ 駿遠線全車両ガイド その参 ■■

【内燃客車(ガソリンカー・ディーゼルカー)/藤相鉄道・中遠鉄道・静岡鉄道】


 内燃客車とは、一般に気動車または内燃動車(内燃動力付車両)と呼ばれるが、静岡鉄道では内燃客車と称していた。つまりガソリンカーおよびディーゼルカーのことで、藤相鉄道・中遠鉄道・静岡鉄道の各時代を通し全部で20両在籍した。ガソリンカーとディーゼルカーは燃料が違い、もちろんエンジンも違っていたが、機関換装(ディーゼル化)により性能は共通化されていた。これらには他社からの転入車両もあるが、特長はやはり静岡鉄道になってからの自社工場製車両で、20両中実に7両を占めていた。

 静岡鉄道駿遠線での内燃客車の歴史は古く、前身の旧中遠鉄道(昭和4年)・旧藤相鉄道(昭和6年)に溯る。その使用目的は、進出する乗合自動車の脅威に対抗する措置であった。たとえば中遠鉄道では昭和4年からわが国初の片ボギー式ガソリンカーを導入し、藤相鉄道でも昭和6年からガソリンカーを導入し、乗合自動車(バス)に対し乗客増の実績を上げた。当時は内燃機関技術が発達しておらず、最初に採用されたのはガソリンエンジンを搭載したガソリンカーだった。

 先に採用を決意した中遠鉄道は全国の鉄道車両メーカーを調査し、ようやく東京の松井自動車工作所に発注することができた。受注した松井側でも軽便鉄道での実績はなく、技術者が何度も出張して、中遠側の現場担当者と意見交換した。こうして日本初の片ボギー式ガソリン動車「キハ1」が誕生した。片ボギー式とは、2軸車の固定台車1軸分と、通常のボギー台車とを組合せたものである。ガソリンエンジンからの動力伝達は首を振るボギー台車側ではなく、固定された1軸台車側に行うため、構造が簡単で整備も容易だった。

 一方藤相鉄道では、日本車輌(日車)製にボギー式ガソリンカーを一気に3両(キハ1〜3)発注した。わずか2年余の間に技術も進歩し、全国の軽便鉄道に採用が広がっていた。これら3両の特長は、車内にクロスシート(向合い座席)が装備されていたことだが、ほどなく普通のロングシートに改造され座席数は減ったが定員数は逆に増加した。

 両鉄道とも将来の動力車はガソリンカーに一本化することを決意し、藤相鉄道では蒸気機関車を大量に廃車した。ところが日本は昭和16年に太平洋戦争に突入、しだいに燃料が不足するようになり、ガソリンは配給統制を受けるようになった。このため昭和17年にはガソリンカーは代燃装置を搭載し、木炭ガスを発生させながら細々走ることとなった。ライバルのバスも同じ状況で、がぜん蒸気機関車が息を吹き返し、老体にムチ打って活躍するようになった。やがて戦後になり燃料統制は解かれ、手間がかかり性能も悪い代燃装置は徐々に廃止されていった。この時期内燃機関は、復活したバス輸送の発展により、小型で強力なディーゼル機関が発達していた。発火点の低いガソリンより、軽油を燃料とするディーゼル機関の方が安全で燃料費も安く、鉄道車両には有利だった。このため静岡鉄道ではディーゼル機関が小型高性能化するにともない、内燃客車のガソリンエンジンをディーゼルエンジンに換装(改造)していった。

 その後乗客増による車両不足にみまわれ、その増備は他社からの転入車両に頼った時期もある。不足する車両を廃止された他鉄道に求めたため、変った経歴の車両も仲間に加わっている。やがて他鉄道からの車両調達も底を尽き、増加する一方の乗客に車両増備が追いつかなくなり、ついに静岡鉄道は内燃客車の自社製造を決意した。完全自社製ディーゼルカーはキハD14系(キハD14〜キハD20)と呼ばれ、車体は当時流行の湘南型(正面2枚窓を傾斜させたタイプ)でバス窓(2段窓の上段をHゴムで固定)の軽快で優美な車両だった。高い技術力で内燃客車を基礎の台枠や台車から製造し、全部で7両製造されたうち3両が最後の日まで活躍し、さよなら列車とともに駿遠線の歴史の幕を閉じている。

 静岡鉄道駿遠線の内燃客車は大きく3グループに分けられる。a.キハC1〜キハD9の引継車グループと、b.キハD10〜キハC13(後にキハDに改造)までの転入車グループと、c.キハD14〜キハD20までの自社製造グループである。駿遠線の車番は静岡鉄道合併時には旧藤相鉄道・旧中遠鉄道の車両で重複するものがあり(キハ1〜3)、新たに小型のものから若番(1〜)として車番を付け直すとともに、番号の頭にキハC・キハDを冠した。キハCというのは片ボギー車を示し、キハDはボギー車を示している。なかにはキハCを車体延長し、ボギー車化してキハDに改造した車両もある。

 (参考)
側面記号で数字は窓の数、Dは客用扉、dは乗務員用扉を示す。たとえばキハC1の側面は「1D44D1」となり、運転室窓1枚の後ろにドア、その後ろに客室窓が続き(4枚と4枚の間に太い桟を挟む)、またドアと運転室窓があったことを示している。


@静岡鉄道キハC1 ←中遠鉄道キハ1
 中遠鉄道からの引継ぎ車で、旧車番はキハ1。昭和4年、松井工場(松井自動車工作所)製。車体は半鋼製で、木製の車体に鋼板を貼り付けた構造で、わが国初の「片ボギー車」だった。片ボギー式にした理由は2軸車では小型すぎ、ボギー車は大きくて保守も面倒なことから選択された。目的は乗合自動車(バス)に乗客を奪われていた中遠鉄道が、起死回生策として導入した。
最大寸法は8,543×2,134×3,200mm、自重5.0t、定員40名。車輪径はボギー側、固定軸側とも762mm。機関換装後のディーゼルエンジンは「いすゞDA43」だが、もともとはガソリンエンジンで、戦時中は代燃機関を搭載していた。スタイルは正面3枚窓で、側面は1D44D1窓は1段下降式、屋根は二重(ダブルルーフ)でやや古めかしい外観だった。

A静岡鉄道キハC2 ←中遠鉄道キハ2
 中遠鉄道からの引継ぎ車で、旧車番はキハ2。先のキハ1の増備車で、同じく昭和4年松井工場(松井自動車工作所)製。車両諸元はキハC1と全く同一だが、二重屋根の側面にトルペード(水雷)型ベンチレターを片側3基、計6基取付けていた。また側面の戸袋窓を除く片側3枚づつに保護棒が設置されていた。ここでいう松井工場とは東京の松井三郎という人の個人経営企業で、わが国の内燃車両(気動車)の草分けだった。商標や特許に無頓着だったせいか、当初松井工場、次いで松井自動車工作所、後に松井車両車輌製作所と社名を変更している。日本初の片ボギー式に次いでボギー式車両も初めて製造した実績をもつが、後に帝国車輌・日本車輌などの大手車両メーカーが次々と参入し、歴史から消えていった。

B静岡鉄道キハC3 ←藤相鉄道キハ4
 藤相鉄道からの引継車で、旧車番はキハ4。昭和11年、加藤車輌製作所製の半鋼製車。キハ1〜3がボギー車で、軽便鉄道用としてはやや大型だったのに対し、キハ4は小型の「片ボギー車」だった。目的は大手線の新藤枝〜大手・駿河岡部専用車で、乗客の少ないこの区間でもっぱら使用された。
最大寸法は7,590×2,132×3,185mm、自重5.1t、定員32名。車輪径はボギー側、固定軸側とも710mm。機関換装後のディーゼルエンジンは「いすゞDA75」だが、もとはガソリンエンジンで戦時中は代燃機関を搭載していた。スタイルは両車端に鮮魚台(荷物台)があり、正面2枚窓だがガラス不足により桟が入り、ボギー台車側は縦に細い4枚窓、1軸側は運転台面が横2枚で客席面は下段窓がさらに左右分割、合計5枚窓となっていた。側面は1D5で扉は片側1枚、1段下降式窓で、屋根はシングルルーフだった。この車両は定員が座席16名、立席16名とあまりに少なく、静岡鉄道合併後は完全に予備車となった。そして他社からの転入車などで車両増備が進み、早い時期に廃車となったいわば幻の車両。

C静岡鉄道キハD4 ←藤相鉄道キハ5
 藤相鉄道からの引継車で、旧車番はキハ5。昭和11年、日本車輌製の半鋼製車。こちらはボギー車ではあったが、区間運転用の小型内燃客車で、駿遠線で唯一客車化された「最小のボギー車」だった。
最大寸法は9,170×2,080×3,184mm、自重10.0t、定員50名。車輪径は710mmで、機関はフォードV8エンジンを装備していたが、換装後「いすゞDA45」となった。昭和40年に機関撤去され、客車化されてハ29となった。内燃車時代は車端片側に鮮魚台(荷物台)があり、正面2枚窓、側面は1D5D1。窓は1段下降式で、屋根はシングルルーフだった。正面窓の運転台と反対側は、細い桟が入って縦に分割されていた。これは戦時中および戦後、広く大きなガラスが手に入りにくく、正面窓を小さなガラスで代用した名残と思われる。台車は車輪径710mmの鋳鋼製偏心台車を履いていたが、客車化されても継続して使用されていた。

D静岡鉄道キハD5 ←中遠鉄道キハ3
 中遠鉄道からの引継車で、旧車番はキハ3。製造は昭和10年、東亜工作所製の半鋼製車。先のキハ1・2が片ボギー車だったのに対し、やや大型のボギー車になっている。この車両導入当時は中遠鉄道でも、蒸気機関車から内燃客車への転換をはかっていた。
最大寸法は11,200×2,128×3,120mm、自重11.4t。定員52名(座席26名)で、蛍光灯装備。換装後の機関は「いすゞDA45」で、シリンダー内径×行程:95×120、出力55PS・1,500rpm。定格引張力は300kg/hで、変速機は機械式4段、非総括制御車。台車は珍しい板台枠軸バネ式で、車輪径は710mmだった。車体は正面3枚窓で、側面は1D7D1、屋根は浅目のシングルルーフ。車端両側に鮮魚台(荷物台)が付き、窓は2段上昇式で、戦前の車両としては近代的な外観の車両だった。

E静岡鉄道キハD6〜8 ←藤相鉄道キハ1〜3
 藤相鉄道からの引継車で、旧車番はキハ1〜3。昭和6年の日本車輌(日車)製半鋼製車で、入線当時クロスシートを備えていたことは前述の通り。そのシートピッチは1,430mmあり、現代の通勤用セミクロスシート車(例:JR113・115系)の1,450mmと比較しても遜色ない。ただし背擦りは低く、大人の肩ぐらいしかなく、車内の見通しは良かった。中遠鉄道の成功に習い2年後に導入され、予想以上の好成績を納めた。このため藤相鉄道では中遠鉄道より早く内燃客車の増備が進められ、昭和10年には蒸気機関車を大量に廃車している。
最大寸法は11,000×2,134×3,185mm、自重はキハD6とキハD8が11.6tで、キハD7は11.0tだった。定員は同じ60名(座席36名)で、蛍光灯装備。換装後の機関は「いすゞDA45」で、シリンダー内径×行程:95×120、出力55PS・1,500rpm。定格引張力330kg/h、変速機は機械式4段で、非総括制御車。台車は偏心の鋳鋼台枠軸バネ式で、車輪径は710ミリだった。車体は正面2枚窓で深いヒサシが付き、側面は1D10D1窓は1段下降式。ドアがステップ分下がり独特のスタイルとなり、屋根はシングル。駿遠線では一番長く活躍した車両で、沿線でも馴染みが深く、海沿いの松林を走る風景が良く似合っていた。

F静岡鉄道キハD9 ←藤相鉄道キハ7
 藤相鉄道からの引継車で、旧車番はキハ7。昭和16年の加藤車輌製作所製半鋼製車。キハ1〜3の増備車で、外観も良く似ているが、製造所や側面配置が異なる。
最大寸法は11,000×2,134×3,185mm、自重は11.0t。定員は70名(座席30名)で、蛍光灯装備。換装後の機関は「いすゞDA45」で、シリンダー内径×行程:95×120、出力55PS・1,500rpm。定格引張力286kg/h、変速機は機械式4段で、非総括制御車。台車は鋳鋼台枠軸バネ式で、車輪径は710mm。車体は正面2枚窓で深いヒサシが付くが、側面は2D7D2、屋根はシングル。ドアステップは受け継がれたが窓は2段上昇式になり、かなりスマートな外観になった。ただしキハD6〜8とキハD9の外観上の区別はつけにくい。

G静岡鉄道キハD10 ←赤穂鉄道カ6 ←立山鉄道キハ2
 静岡鉄道になってからの増備車で、元赤穂鉄道のカ6だがさらに前身は立山鉄道(現在の富山地方鉄道立山線の一部)のキハ2だった。昭和5年、日本車輌(日車)製の半鋼製「片ボギー車」。この車両は赤穂鉄道時代、ボギー式「機関車」に改造された。すなわち昭和25年、森製作所において車内の座席を撤去し、ここにND4ディーゼルエンジンを据付け、かつての1軸動力台車をロッド駆動の菱枠ボギー台車に交換した。こうして外観は内燃客車(ボギー車)ながら、軸配置B−2という珍無類なディーゼル機関車として活躍していた。しかし昭和26年、赤穂鉄道は国鉄赤穂線の開通によって廃止され、同機は静岡鉄道駿遠線に迎えられた。入線後の昭和32年、自社の袋井工場で再び大改造を行い、床を貫通していた室内大型エンジンとシャフトを、床下駆動の普通のディーゼルエンジンに改造した。合わせて座席復元とともに窓2枚分車体を延長し、輸送力においても問題ないよう大型化した。
最大寸法は10,080×2,121×3,200mm、自重は9.0t。定員は55名(座席27名)で、蛍光灯装備。換装後の機関は「いすゞDA45」で、シリンダー内径×行程:95×120、出力55PS・1,500rpm。定格引張力365kg/h、変速機は機械式4段で、非総括制御車。台車は菱枠型で、車輪径は710mm。車体正面は中央がやや広い3枚窓で、ヒサシが付いていた。側面は1D6D1→1D8D1で窓は1段下降式、屋根はシングルルーフだった。この車両は後述のキハC(D)13と兄弟車両で、同時に同じ図面から製造されている。不思議な縁で再会したばかりでなく、同じように片ボギー式からボギー式に改造され、窓2枚分の車体延長工事も行われている。

H静岡鉄道キハD11 ←鞆鉄道キハ3
 静岡鉄道になった後の増備車で、元鞆鉄道のキハ3だった。昭和3年の松井自動車工作所製で、この車両は日本初の軽便鉄道用ボギー式ガソリンカーだった。鞆鉄道は広島県の福山と瀬戸内の鞆(鞆ノ浦)を結んでいたが、昭和29年に廃止された。この車両の転入により、奇しくも静岡鉄道駿遠線には、日本初の「ボギー式」と「片ボギー式」ガソリンカーが揃ったことになる。
最大寸法は10,535×2,134×3,188mm、自重は8.2tの半鋼製車。定員は40名で、蛍光灯装備。換装後の機関は「いすゞDA45」で、シリンダー内径×行程:95×120、出力55PS・1,500rpm。変速機は機械式4段で、非総括制御車、車輪径710mmで台車は菱枠型だった。車体正面は中央がやや広い3枚窓で、側面は1D44D1窓は1段下降式、片側に鮮魚台(荷物台)があった。屋根は鞆鉄道時代の昭和10年に、加藤車輌でダブルルーフ(二重屋根)の上屋根を削り取る改造を行い、浅い(薄い)独特の形状のシングルルーフになっていた。

I静岡鉄道キハC12 ←鞆鉄道キハ5
 静岡鉄道になった後の増備車で、元鞆鉄道のキハ5だった。昭和29年入線で、昭和6年、日本車輌製。鞆鉄道からはキハ3〜5がやって来たが、同形の車両は1両もなかった。このキハC12は久々の「片ボギー式」内燃客車の増備車となったが、定員が少ないことから割合と早く予備車になってしまった。
最大寸法は8,460×2,120×3,105mm、自重は6.8tの半鋼製車。定員は42名で、蛍光灯装備。換装後の機関は「いすゞDA45」で、シリンダー内径×行程:95×120、出力55PS・1,500rpm。変速機は機械式4段で、非総括制御車、車輪径710mmで台車は菱枠型だった。車体正面は鞆鉄道時代に改造された2枚窓で、側面は1D5D1窓は1段下降式、屋根はシングルルーフだった。小型車だったことから車両増備が進むとともに活躍の場が狭まり、元キハ4のキハC13がボギー化された際にも改造を見送られ、最後は足回りをはずされて大手工場の物置にされてしまった。

J静岡鉄道キハD13 ←静岡鉄道キハC13 ←鞆鉄道キハ4
静岡鉄道になった後の増備車で、元鞆鉄道のキハ4だった。昭和5年、日本車輌(日車)製の半鋼製車。昭和29年入線後しばらくは片ボギーのまま使用されていたが、昭和33年に自社工場で窓2枚分車体を延長し、ボギー車化改造された。前述のキハD10とは同じ日車生まれの双子の兄弟車両だったが、奇しくもこの地で再会したばかりではなく、同じ改造を受けて共にボギー車となっている。
最大寸法は9,928×2,121×3,080mm、自重は9.0t。定員は56名(座席26名)で、蛍光灯装備。換装後の機関は「いすゞDA45」で、シリンダー内径×行程:95×120、出力55PS・1,500rpm。定格引張力265kg/h、変速機は機械式4段で、非総括制御車。台車は元の側が菱枠型、新しく取付けた動力伝達側は偏心型菱枠台車で、車輪径はともに710mm。車体正面は中央がやや広い3枚窓で、側面は1D6D1→1D8D1で窓は1段下降式、屋根はシングルルーフだった。

K静岡鉄道キハD14
 自社工場製第1号車で、昭和34年に自社静岡清水線長沼工場の応援を得て、駿遠線袋井工場で台枠から車体・最終組立まで一貫して製造された。車体は当時最新型だった静岡清水線モハ21形の影響がみられ、流行を取入れてコンパクトにまとめている。
最大寸法は11,500×2,130×3,170mm、自重は11.0t。定員60名(座席34名)で、蛍光灯装備。機関は「いすゞDA110」で、シリンダー内径×行程:100×120、出力82PS・1,800rpm。定格引張力379kg/h、変速機は機械式4段で、非総括制御車。台車は自製の鋳鋼台枠式で、車輪径は710ミリ。車体は正面2枚窓で当時流行の湘南型、側面は1D7D1でこれも当時流行の2段上昇式バス窓、屋根は張上げ式で近代化されている。正面は雨樋のせいか、いくぶん厳めしい印象に仕上がっている。

L静岡鉄道キハD15
 昭和35年に自社袋井工場で、同年製造車2両のうちの1両として製造された。変速機は意欲的にトルクコンバーター(岡村製作所製)を装備したが、乗務員が取扱いに慣れず、現場ではあまり歓迎されなかったという。このため次年増備車では再び機械式に戻ったが、最終増備車ではトルクコンバーターが帰り咲いている。尚、現在事務用機器メーカーである岡村製作所だが、創業時には様々な産業用機器を製造していた。トルクコンバーター装置もそのうちのひとつだが、すでに製造されていない。
最大寸法は11,500×2,130×3,155mm、自重は11.0t。定員60名(座席34名)で、蛍光灯装備。機関は「いすゞDA120」で、シリンダー内径×行程:100×130、出力90PS・1,800rpm。定格引張力428kg/h、変速機はトルクコンバーターで、非総括制御車。台車は菱枠型で、車輪径は710mm。車体は正面2枚窓の湘南型、側面は1D7D1の2段上昇式バス窓。屋根は張上げ式で近代化されているが正面はやはり雨樋のせいか、前述のキハD14同様いくぶん厳めしい。

M静岡鉄道キハD16
 昭和35年に自社大手工場で製造された、もう1両の同形車。変速機はトルクコンバーター式から機械式に戻ったが、正面の雨樋が改良され、やや優美な外観に仕上がっている。この仕上げの差は、袋井・大手両工場間の個性といえるものだったという。
最大寸法は11,500×2,130×3,155mm、自重は11.0t。定員60名(座席34名)で、蛍光灯装備。機関は「いすゞDA110」で、シリンダー内径×行程:100×120、出力82PS・1,800rpm。定格引張力330kg/h、変速機は機械式4段で、非総括制御車。台車は板台枠軸バネ式で、車輪径は710mm。車体は正面2枚窓の湘南型、側面は乗務員室ドア付となりdD7D1の2段上昇式バス窓、屋根は張上げ式。

N静岡鉄道キハD17・18
 昭和36年に自社大手工場で車体製造(板金工作)、袋井工場で下回り製造および組立てと、年間4両と大量に製造されたうちの2両。乗務員室ドアが付き、外観がさらに近代化されたが、変速機は相変わらず機械式が採用された。
最大寸法は11,500×2,130×3,155mm、自重は11.0t。定員60名(座席34名)で、蛍光灯装備。機関は「いすゞDA120」で、シリンダー内径×行程:100×130、出力90PS・1,800rpm。定格引張力420kg/h、変速機は機械式4段で、非総括制御車。台車は板台枠軸バネ式で、車輪径は710mm。車体は正面2枚窓の湘南型、側面はdD7D1の2段上昇式バス窓で、屋根は張上げ式。これらのうちキハD18が、駿遠線最後の区間でも活躍した。

O静岡鉄道キハD19・20
 昭和36年に自社大手工場(車体)と袋井工場(組立)で、年間4両と大量製造されたうちの最終増備車2両。キハD20が最終形式となった。外観はキハD17・18と変わらないが、変速機が再びトルクコンバーター式になり、台車も菱枠型に戻った。
最大寸法は11,500×2,130×3,155mm、自重は11.0t。定員60名(座席34名)で、蛍光灯装備。機関は「いすゞDA120」で、シリンダー内径×行程:100×130、出力90PS・1,800rpm。定格引張力420kg/h、変速機は岡村製トルクコンバーターで、非総括制御車。台車は菱枠型で、車輪径は710mm。車体は正面2枚窓の湘南型、側面はdD7D1の2段上昇式バス窓、屋根は張上げ式。これら2両は先のキハD18とともに、駿遠線最後の区間で、最後の日まで使用された。客車には一時保存されていた車両もあるが、内燃客車が1両も保存されなかったことは、今思えば非常に残念である。しかし保存状態が悪くなり、末期には無残な姿を晒すことを考えれば、これも仕方なかったと言えよう。


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