■■ 静岡鉄道・駿遠線1964年 ■■
大手駅と工場を一寸だけ訪問
この時は家内と当時67歳だった父との三人旅でした
私の父は何事にも好奇心旺盛で、この旅に付き合ってくれたのです
まあ、撮影旅行ではないので
いい写真は無いのですが1964年の記録としてご紹介いたします
写真の数も少なく、あっても記念撮影なんで
その分は他の写真も入れて旅日記風に
昭和39年1964年といえば10月に東京オリンピックの有った年でした。3月1日は日曜日で、67歳になる父が前の日から泊りがけで遊びにきておりました。どういう加減か静岡に行こうと言う事になりました。朝早く、家内と父、そして私の三人旅です。
◆ 朝の小田急の急行電車で小田原に出まして、そこから東海道本線の電車に乗ったのです。各停だったか準急東海だったか忘れてしまったのですが、静岡まで参りました。静岡といえば富士の眺めが良いと言われる日本平です。
静岡のバスターミナル、静岡鉄道の新静岡に国鉄の駅から、多分歩いて行った筈です。ターミナルの雰囲気がやけに賑やかです。ブラスバンドなんか出てるんですね。何だろうと思いましたら、今日、3月1日、ここ新静岡から日本平行きの直通バスが運転開始とかで、セレモニーが行われているのです。
そのバスに乗ったんですね。ブラスバンドの音と紙ふぶきの中をバスは出発しました。妙に嬉しかった事を覚えております。新しいドライブウエイ『日本平パークウェイ』をバスは日本平へと登って行きました。そして日本平着。

左から1/4、上から1/6の所に見える白いのが富士山
(^_^)
天気はよろしいし、かすみの向こうに富士の姿も見えております。


◆ で、まあ日本平の観光は風景を眺めただけで、同じバスで新静岡に戻りました。そこから、静岡鉄道の駿遠線に一寸だけ乗ろうって事になりました。具合のいいことに、新静岡から浜松行きのバスが出ておりました。静岡鉄道と、遠州鉄道の共同運航で、観光バスみたいな、豪華な(当時の感覚ですよ)バスが、東海道(国道1号線)を運転されているんです。
藤枝に行くんなら、『これだ、これだ』って訳で、これに乗り込みました。バスは今ほど混んでいなかった国道を走ります。『丸子』、『宇津ノ谷峠』、を過ぎ、『岡部』の宿です。

岡部の町並みと、東海道
◆ 何となく『東海道って感じの道路』を暫く走って、バスは大手の工場も近いバス停(名前は忘れました)に停まりました。

当時としては高級感満点のバス
◆ ここで下車して一寸歩けば、静岡鉄道駿遠線の新藤枝〜大手間の支線の終点、大手駅です。駅の事務所にお断りして、構内を歩いて良いとお許しを頂いて、何枚か、車両の撮影を致しました。家族連れの旅行となれば、家族をほっとく訳にも行きませんので、ほどほどで撮影を終わり、客車や気動車の前で、記念撮影なんぞ撮ったりしたのです。父も結構嬉しそうでした。

ハ106 & ハ12

この発電機はハ108(右)のものなのかどうか不明です
◆ 客車の照明は普通はバッテリーを使用しておりました。充電のシステムがどうなっていたのかわからないのですが普通は発電機は付いてなかったのです。目新しかったので、多分、撮影したのかもしれません。
客車のわき腹に扉がついていて、その中に蓄電池が収納されておりました。

ト9ですが、上に載ってるのはエンジンです(何故か不明)
ひょっとして下のキハ10のエンジンかもしれないなどと今になって思うのです

端正な顔立ちのキハ10

そのキハ10も反対側は、どう見ても修理中ではなかったです
小さなボギー台車は多分キハC1かキハC2の台車だったようですね
この可愛らしさに見覚えがありました

何となく寂しさの漂う工場内とプラットフォーム
◆ 30分も『大手』に居たでしょうか。新藤枝までは勿論、気動車キハD4に乗りました。可愛らしく、なんとなく、か弱い感じの駿遠線の列車に乗って、父は何を考えていたんでしょうか。ひょっとしたら、幼い日、明治末期、生まれ故郷『久留米』の街の中を、けなげに客車を引いて客を運んでいた3フィート軌間の発動機機関車のことを思い出していたのかもしれません。
◆ そして、この年の9月、大手駅〜新藤枝駅間と、新三俣駅〜堀野新田駅間が廃止されたのです。
◆ 藤枝から、どうやって帰ってきたのでしょう。まったく記憶もありません。新幹線も無い時代ですから、多分、準急東海何号だったんでしょうね。
これで、1964年の駿遠線のレポートはお仕舞いです
中味が薄くて申し訳ありませんでした