戻る

■■ 静岡鉄道駿遠線/新藤枝駅&大手駅・工場 レポート ■■
1962年10月28日

1962年(昭和37年)10月といえば、私は会社に勤め始めて三年目、結婚して一年目
横浜の六角橋という処の四畳半一間のアパートに住んでおりました
10月28日日曜日は雨
駿遠線の気動車客車に会いたくなって出かけて行きました

1963年4月30日発行の某工科系大学の鉄道研究会の会誌に
同部OBとして寄稿した旅行記をそのまま再録しますので
前後の辻褄の合わないことや、形式表記の統一を欠くものも有りますが、大目に見てやって下さい
(青文字のコメントは現在の私が入れました)


■■ 再び静岡鉄道駿遠線に乗るの記 ■■
1962年10月28日 雨の静岡

 このチャーミングなニロクゲージの鉄道について、1959年の会誌に一度書いたのですが、今や部の方々は全部入れ替わり、又こちらの車輌たちの様子も随分変わっておりますので、簡単に表面をなでているのを遠くから眺める如く、大雑把にですが書くことに致します。


新藤枝駅のパノラマ写真
右側の古い建物群と、左の国鉄貨物フォームに挟まれ
時間の流れが止まった空間です

 あの頃の様な421レの様な都合の良い、つまり東京夜発、藤枝朝着の列車がなくなってしまいましたので、私は1962年10月28日朝7時46分、小雨模様の横浜を、超満員の301Mで後にしました。
 清水であとから来た569M(なつかしの80系・・・・もう東海道ではかつての花形も日の当たりがよくありません)で10時52分藤枝駅に着きました。
 藤枝駅の本屋も何時の間にかコンクリートの白いかたまりに変わり、現在の国鉄の看板路線の駅としてふさわしいスタイルになっていました。

 さて、表へ出ると右側すぐに静岡鉄道駿遠線の新藤枝駅の建物が2年半前に変わらぬ、懐かしい姿で立っていました。


1962年当時のトヨペットコロナ&公衆電話
懐かしいですね

プラットフォームには二本の気動車列車がカリンカリンとエンジンのアイドリングの音を響かせて、もう客を乗せて発車時刻を待っていました。
 私もとりあえず大手までの乗車券を買うとフォームに入りました。そこには二年半前と殆ど変わっていない光景が展開したのです。車輌こそ新しいのが増えていましたが、バックの建物など、ほとんど変わらず、国鉄の構内から一挙に10年ほど逆行したのではないかとも思えるくらいです。
 その中を雨に煙る向こうの方へ、キハ19が大手の方へ、キハ18がトレーラーを一両引いて相良方面へ、軽油のうすい煙と匂いを撒き散らしながら、あいついで出てゆきました。私はひと一人いなくなったフォームの上に突っ立って、しばらくぼんやりとしていました。
 雨なのに来て良かった。私はそう思いました。私の一番好きな、この鉄道が車輌は少々変わりましたが、以前とほとんど変わらぬ雰囲気をもって私を迎えてくれたのです。


改札口前からの眺め

 
(左)新藤枝駅プラットフォーム先端付近から駅本屋方向を望む
(右)新藤枝駅フォームから大手・地頭方方面をのぞむ

 
(左)大手方面行きのホーム・・・・手前が大手
(右)従業員詰所・・・・下を小川が流れ、護岸は煉瓦、白枠内は燃料タンク


本線の列車に乗り込むお客さん

 このとき新藤枝の構内には、さきのキハ18、19と同型の前面二枚窓2ドア湘南スタイルのキハ20、キハ16、半鋼のトレーラーハ108、木造2軸ボギー客車、ハ20、ハ15、ハ12、ハ25、ハ16などが留置してありました。
 40分ほど待っていましたら、さっきのキハ19が戻ってきました。11時6分に、そのキハ19で工場のある大手へ向かいました。

 この静岡鉄道駿遠線は、ここ新藤枝と国鉄袋井駅へ御前崎にほど近い地頭方を経由して向かう、60.7キロメートルと、新藤枝〜大手間の3.9キロメートルの二つからなっています。
◆ 車両はDB60という2軸のディーゼルロコが8両。
◆ 2軸ボギーのキハD(Dは4軸の意)が15両、このうちキハD14〜20は先ほど述べた湘南スタイルです。
 キハD4と5は、前後に荷台をつけた×××××××××(原本の印刷が消えていて不明/思い出せない!)×××××××××なスタイル、キハD6〜9は前面二枚窓に大きなヒサシをつけた特異なスタイル、キハ10は赤穂鉄道から来たガッチリしたスタイルのまるでナローゲージディーゼルカーのお手本のようなかっこうです。キハD13は鞆鉄道廃線にともない流れてきた三台の生き残りで、昔はキハC13といって三軸ボギーでした。
◆ 次に客車ですが、明治/大正年間に作られた木造客車と、昭和31年以後に自社でつくった半鋼製客車とに分けられ、前者はハ1〜28(欠番:4、5、14、17、26)およびハニ1、2で、木造車、小さなダイヤモンドトラックをはいています。後者はハ101〜112で電車スタイル?
◆ 貨車もあります。ワ18、ワ22。 トフ1、3、4、9、14。 チ1、2.チフ3、4とありますが、すべて事業用です。少し以前には、客のほかに、貨物輸送もやっていて、ディーゼル・ロコがミキストを引くという、楽しい風景も有りました。その頃は、30数両を数える大所帯で、ちょっと壮観でした。
◆色は、ロコはブルー(正確には「でした」。というのは今回はお目にかかりませんでした)。客車、気動車はスカイブルーとオレンジイェロー、貨車は黒。

 などと書いているうちに大手の駅につきました。工場の方へ、駅長さんの許可を受けて回ってゆきましたら、枕木を積み上げた上にキハC12の残骸が乗せてあり、少なからずショックを受けました。ほかにワ18、ハ2、ハ24、キハD10、キハD7などがありました。


大手駅ホームで発車を待つキハD15と留置中の客車


工場側線
真中の傾いているには修繕中のキハD10
手前左にチラッと見えるのは草軽電鉄から来たホハ30

 じきに折り返す車で新藤枝に戻り、所用もありましたので、すぐに国鉄の駅へ行き、上り列車に乗ると横浜に向かいました。

 今回は時間が無かったこと、雨天など悪条件が重なってろくすっぽ見学も出来ませんでした。ひょっとして、このささやかな一文で、ちょいと行って見るかい、という気持ちを起こした人が一人でも居て、ナローゲージレールウエイに興味を持ってくれる人が増えれば幸いです。

 私が、このようなナローがすきになった動機は1958年1月26日付週刊読売のグラビアページ『フォトストーリー・ひとりぼっちの駅長さん』にシゲキされたからです。
 もっとくわしくお話したいのですがスペースもありませんので、このへんでごめんくださいまし。


・・・・・・・・・・と、まあこんな内容でした
掲載誌の性格上、このレポート、最後の部分がおかしいのですが
お許しください


 戻る