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■■ 草軽電鉄・1958年12月 (上巻) ■■


( 2009年10月画像大型化・一部訂正 )

 1958年・昭和33年12月27日、当時、某工科系大学の3年だった私は 、別の大学に通っている中学時代からの友人と、草軽電鉄に乗りに行こうと云う事になりました。
 上野から、各停の夜行列車で未だ暗い『軽井沢』の駅に着きました。松井田〜横川の上り勾配で蒸気機関車が ノッキングするみたいにゆっくり、息をつきながら列車を引き上げていたのが記憶にあります。

 国鉄の『軽井沢駅』の道路を挟んで反対側が、草軽電鉄の『新軽井沢駅』。まだ暗い『新軽井沢駅』を発車した、19号電機機関車の引くホト2両と、ホハ15の混合列車は、『国境平駅』あたりから明るくなってきた雪景色の中をのんびり走ります。
 『草津温泉駅』は街外れの何にも無いところで、そのまま、折り返した新軽井沢行きの列車で軽井沢に戻りました。
 一面の雪だし、列車本数も少ないので、途中で下車して写真撮影もしなかったのですが、お天気が良かったので、車窓からの風景の素晴らしさは、悪い軌道と小型台車の乗り心地とともに、はっきりと記憶に残りました。

 では、そのときの写真をどうぞ・・・・。


 雪景色の中を列車は走り、『国境平(こっきょうだいら)駅』に着きました。
  昭和33年4月15日付のダイヤを見ますと、私の乗った列車は新軽井沢発5時24分の1列車か、8時24分初の3列車と推測されます。しかし国境平駅でのこの写真を見るとネオパンSSでこの程度の写りなので7時ごろではないとかと思われ、辻褄が合いません。1列車だと6時半ぐらいに国境平に着くのですから。そうかと言って3列車だと、軽井沢で国鉄の夜行列車から降りて時間を潰したり、写真を撮ったりした記憶が全く無いのはおかしいし。
ただ、一番列車に乗った・・と、云うメモは有ります。ダイヤが改正されてた可能性は(冬ダイヤ?)ありますが。


雪の国境平駅


 ・・・・・ で、いきなり『湯窪(ゆくぼ)駅』です。新軽井沢から一緒に来た貨車を切り離しています。
 湯窪駅は新軽井沢から40.6km上州三原駅からスイッチバックをガーッと登って一つ先の駅(途中信号所有り)で、新軽井沢駅から2時間半ほどかかります。


新軽井沢から連れて来た貨車を切り離す


入換作業


上の写真に写っている看板の拡大
「吾妻鉱山 帝国硫黄工業株式会社」とあります


  列車は『草津温泉駅』に到着、機関車を付け替えて新軽井沢行きになりました。 この客車、ホハ15は木造。切り妻の、私の趣味にぴったりの客車です。私は、草軽電鉄では一番好きな客車でした。ほかに、何種類か有りましたが、これほど均整のとれた車は無いように思えました。


機関車デキ19を付け替え新軽井沢行きになった列車
木造・切妻のホハ15は素晴らしいデザイン


ホハ15の社章部分
サボ掛けにサボはなく何やら文字らしきものが浮かんでいます


牽引機bP9の正面
ユニークなスタイルのパンタグラフが
この元工事用といわれる機関車にお似合いです


19号機、パンタのサイドビュー
良く見ると、けっこう複雑なメカです


側線に留置されていた客車、ホハ10型のホハ12
なんだか使われていない様に見えたんですが・・・・・

 『草津温泉駅』の駅舎を正面から撮りました。駅名の看板は右書きで、駅の文字は『驛』です。駅の周囲はがらんとして、『温泉宿』は何処にあるのでしょう・・・・街外れの駅だなあと思ったものです。


草津温泉駅本屋正面


草津温泉駅入場券

 さて、おんなじ車両の列車で折り返しました。折り返しまでの時間 、何をして潰していたのかの記憶は、全くありません。こんな雪景色、寒かった事は確実で・・・・・・。


旅行記は続きます

帰り道に撮影した写真は、次ページをご覧下さい

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