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( 2009年10月画像大型化・一部訂正 )
1958年・昭和33年12月27日、
雪の草軽電鉄に乗りに行きました。その時の記録、『草軽電鉄・1958年12月(上巻)』の続きです。
『草津温泉駅』から新軽井沢駅に戻るのですが、乗った列車は、さっき乗ってきたのと同じ車両、デキ19とホハ15。
■ 復路は、往路と同じ機関車と客車でありました。 『草津温泉駅』を出た列車は、吾妻川の渓谷に向かって下ってゆきます。
■ 『 草津前口駅』(草津温泉駅から二つめ)の構内です。何台もの貨車が荷役作業中で、鉄道の盛期はこんなに駅が元気でした。まあ、ろくな道路が無かったんですから、鉄道に頼らなければならなかったんでしょう。

左端、遠くに見える山は浅間でしょうか・・・・・

重機を使わない石炭(多分)の荷下ろし作業
見ている分にはのどかな風景ですが
作業している身になればパワーショベルが欲しい事は充分過ぎるほど判ります
(草津前口駅)

有蓋車のコワフ100型で、106と107です
左側にブレーキ室がついています
山岳勾配路線ですし貫通エアブレーキなんて無いのですから
制動手乗車のケースもあったのでしょう
・・・・・事実、客車での制動作業は見かけましたから
(草津前口駅)

バックの立派な建築物は何でしょう・・・・今になっては何だか判りません
機関車+客車で来た私達の乗った列車に
ここからは、何かを積んだ貨車が増結されました
(草津前口駅)
■ 次の駅、『万座温泉口駅』は、浅間山の眺望が素晴らしいスイッチバック駅で、浅間がまるで地形図の模型みたいに見えました。

行き止まりの駅で、この左側に本線があります

同じく、万座温泉口駅の本線を登ってきた、交換の草津温泉行き列車
機関車はbQ3で客車はホハ32でした
■ 万座温泉口駅を出て、吾妻川べりの町の駅、『上州三原駅』です。

上州三原駅で見かけた機関車bP8
■ 今度は浅間の高原に向けて登って行きます。嬬恋駅〜小代駅〜、そして『吾妻駅』に到着です。 列車交換が行われるので対向列車待ちでお客さんがホームに出ています。私も降りて雪の原を駆け出しました。

吾妻(あがつま)駅、雪の原の駅で交換の列車を待つ新軽井沢行きの列車
真っ青な空、白い雲、真っ白雪に山影がアクセントを添えます

草津温泉行きの列車の到着です
機関車はbP6、貨車はコワフ104で『代用専用車』というわけのわからない表示
客車はホハ31

これが、ホハ31
のちに草軽電鉄廃止後、このタイプは静岡鉄道駿遠線に譲られて行き
同鉄道の廃止される1970年まで活躍しました
■ さて、列車は進む。北軽井沢駅〜栗平駅〜二度上駅、そして『 国境平駅』に着きました。

左は私達の乗ってきた列車の筈ですが客車は如何したのでしょう
貨車も何処で増結したのか一両増えている様に見えます
・・・で、右は交換の下りの混合列車です
客車ホハ15が如何なったのか、謎は深まりますが、詮索のし様もありません
途中、列車を乗り換えた筈はなし・・・・・
・・・・・と、言いつつ有耶無耶にしてしまいます

国境平駅にあった廃車体
「〜さあ」と「2」と読めます・・・・右書きだと「あさ〜」ですから
「あさま」と名づけられた戦前のリゾート客車らしいのですが、詳しい事は判りません

ともかく、この機関車は草津温泉行きの混合列車を牽引するbP3です

デキ13電気機関車に牽かれて草津温泉行きの下り列車が出てゆきます
貨車はホト105、客車はホハ23でした
上の写真の右奥の看板が気になって拡大して見ました
『浅間牧場入口の看板』です
これは、国境平駅に間違いありません

そんなわけで、ともかく
『新軽井沢駅』に帰ってきたのですが、新軽井沢駅到着時はまだ明るかった筈なのに、一枚の写真も撮ってないのです。今考えても口惜しい思いです。
フィルムの残りがなかったのか、『旅は写真じゃない!記憶にとどめるのが本当だ!』なーんて考えてた所為なのか、わかりません。いまさら悔やんでも始まらないけれど。
最後に「小さな昔切符箱」・・・・クスリの空き缶ですが・・・・から見つけ出した乗車券を二枚。

帰りの列車の車掌さんから購入した車内補充券
サイズ:82mm × 131mm
色はピンクっぽい黄土色ベース
変色退色が激しいと思われますので正確な色は何が何だか・・・・

多分、帰りに新軽井沢駅で購入したのでしょう
三笠までの乗車券も出ていました
1958年・昭和33年12月27日、草軽電鉄の旅日記でありました
私の50年来の鉄道友達、はーさんのホームページに
1959年(昭和34年)と1961年(昭和36年)の
画像たっぷり「草軽電気鉄道訪問記」があります
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