戻る

二度目の遠州鉄道奥山線
(1958年4月9日訪問)


(2003年8月7日:更新)

以下の文は、私が20歳の頃(1958年)、ノートにまとめたレポートで
ほぼ、そのまま掲載します
1958年4月8日静岡鉄道駿遠線を訪問したあとのことです・・・・・


■ ・・・・藤枝駅の待合室に入ったら、もう時間が無い。ともかくホームに入り、やがて入って来た列車、18:50発米原行き335列車の最後部に乗った。
 幸いな事に席は空いていた。おまけに島田でゴッソリ降りてくれたのでたすかった。よっぱらったのが威勢良く歌っている。金谷に着いた。酔っ払いは他の車に行った。急にシーンとなった。気味が悪いくらい。やがて発車。トンネルに入ったので又、ざわざわしだした。トンネルから出たらもうあたりは真っ暗、腹はへるし食べるのも面倒だ。菊川も近くなる頃、缶詰・パンを出して晩飯とした。水がのみたい。
 はたして浜松に泊る所はあるかしら。なければ、次ぎの門司行きで米原往復をやって¥430とするかとも思った。

■ 浜松・・・・交番で聞いたり、歩いたりしてともかく宿は見付けた。素泊まり500円。一寸高いけれど、まあ良いとする。あがったら部屋まで来た大柄な女中(当時の表現)が、この先には2食つき¥500があったのになんてヌカした。チクショウメ!と思ったけれど、まあこれも良いでしょうと思いなおして、風呂に入って、茶を飲んでたら女中が来て布団を敷いた。する事も無いので寝ることにした。「朝は7時半か8時に起こして下さい」とか何とか云って布団にもぐりこんだ。となりの部屋がごそごそいって中々寝つけない。
■ 朝、5時半だと言うのに目が覚めた。6時半頃また眠ったらしく、気が付いたら7時55分。電話が鳴り、何だと思ったら「お客さん、もう8時ですよ」。昨夜頼んであった手前、起きないわけにいかないので、起きた。起きたからといってする事も無い。顔を洗って、茶を飲んで、8時25分、¥500払ってそこを出た。「喜むら」という旅館だった。

■ 浜松駅の一時預所にボストンバッグをあずけ三脚とカメラだけで東田町駅に向かって歩いた。途中で50円出してメシを食った。高い。メシは冷たかった。少し歩いたら40円なんてのがあってガッカリした。

■ さあ、いよいよ第2番目の目的、遠州鉄道奥山線だ。


奥山線の全駅です/多分車内補充券を見て書いたのでしょう

1958年4月、多分、旅から戻って感動の覚めないうちに作ったと思われる
静岡鉄道駿遠線と遠州鉄道奥山線のノートから
何枚かの図版をご覧頂きます


■ 東田町駅は仮駅だった。同じ遠州鉄道二俣線と総合駅になる。全てが、この前、高校1年から2年への休みの時とは違っていた。もう、あれから5年になる。


(東田町駅の配線図です/下手な字ですね〜!!)

 待合室で15分ほど待ったら、9時半発のが着た。キップは名残駅まで買った。入れ替えをやっている間、待たされる。キハ1804とサハなんとかである。1804は日車製のHゴム多用のディーゼルカー、サハは木造。まさか、ディーゼルがここまで乗り入れをやってるとは思わなかった。曳馬野駅までは電化してあるんだから。聞くと、去年の10月からとのこと。ともかく、車に乗る。定刻発車。元城の工場にはモハ1003とトが一台あるだけなので、下車はよした。小豆餅(あずきもち)駅、追分駅あたりから、曳馬野駅までは、新興住宅地といった感じ。結局、曳馬野駅まで行った。このあたり、昔は軍隊がいて、相当賑やかだったそうだ。ここで下車、20円の乗り越しを払って、助役さんに許可を貰って古典客車、撮影だ。


(サハ1103)


(モハ1004)


(曳馬野駅の配線)

 
(キハ1803とサハ1106)

 
(サハ1102とサハ1101・サハ1154)

 
(曳馬野駅の水タンクは元蒸気機関車用かな?・右はポイントの簡易型の梃子)

■ 一時間待って下りが来た。キハ1802がサハを引いている。サハの客をキハに移しているので聞いたら「切り離す」との答え・・・しかし、中々切らないので、も一度聞いたら「予定が変わって三つ先の駅で切ります」。そして、車掌さんに頼んでサハに乗せてもらった。一人で、特等の展望車だ。
 曳馬野の先はぐっと感じがちがってくる。家はぐっと減り、小さい松なんかの林がつづく。線路も直線。ところどころの小鉄橋の赤レンガが印象的だ。都田口(みやこだぐち)駅。ここで客車は切るので、キハに移る。何にサハを使うのかと思って見てたら、どうも荷物車代用とするらしい。ホームに山と荷物が積んである。


(三方原駅で)

 三方が原を掘った掘割に入って行く。陸橋を二つくぐる。ぐっと違ってくる景色。「原」の感じは当たり前ながら無くなり、すっかり山地の感じとなった。どんどん山腹をくねりながら下る。谷駅は通過。祝田(ほうだ)駅、そして川を渡り金指(かなさし)駅についた。ここは、国鉄と並ぶので、ホームもきれいだ。まだ出来て幾年も経っていないんだろう。次ぎの次ぎが気賀口(きがぐち)駅。車掌にたのんだら補充券くれた。ありがたい。


(奥山に向かうキハ1802)


(気賀口に到着し荷物を積む上りのキハ1804とワ1301)


(気賀口駅の配線略図)

 気賀口駅に着き、急いで乗ってきた列車の写真を撮った。次の列車は1時間後の12時24分だから、そこらをぶらついた。井伊谷川(いいのやがわ)の堤の桜が美しい。水も澄んでいる。人はあまり居ないし、一人ではもったいないと思った。

 
(赤煉瓦も嬉しい厠、藍色模様の便器も素敵・貨車は1403)

 駅へ戻り、そして、ターンテーブルやピットの跡やWCなどを見ているうちに時間になった。ターンテーブル、ピット、オマケにWCの土台まで、大正・明治色豊かな赤レンガなので、てんでうれしくなってしまった。


(これも赤煉瓦の転車台とピットの遺跡)

■ 上りが来たので乗った。都田口駅での時間待ち。キハ1802。


(実にのどかなものです。駅舎もよろしい)

 さっきと同じ車だった。運転士と喋りながら、曳馬野まで戻った。ここで乗務員が替わった。元城駅で下車し、工場へ行った。おかげで気賀口からのキップをもうけた。

■ 工場へ行ったら、午前中に曳馬野で話をしたおじさんが居たので、頼んで図面を見せて貰った。それから、裏から出て、町を歩いて、駅前(国鉄の)の60円均一でライスカレを食った。そして15時24分の豊橋発東京行きの電車に乗った。

■ これから、静岡で降りて、ちょっと静鉄にでも乗って、帰るとしよう。


 私の50年来の鉄道友達、はーさんのホームページに
1964年の遠州鉄道奥山線の訪問記が豊富な写真とともに出ています
下のアイコンクリックでご覧頂けます


 戻る