■■ 井笠鉄道 1957年8月 ■■
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(2003. 8. 5改訂)
1957年の8月といいますと、私は、とある工科大学の2年生
その夏休み
同じ学科学年の友人を頼って、博多まで行きまして2〜3日遊んで
最終日、大宰府の天神様詣での後、次の目的地、
四国は高知の親戚の家に向けて
もう暗くなった久留米の駅から、東京行きの急行阿蘇(筑豊本線経由)に乗りました
午前2時頃の腹痛もどうにか治まり、
ろくすっぽ眠れない車中の一泊
ぼやーっとした気分で早朝の5時50分、山陽本線笠岡駅に、降り立ちました
井笠鉄道については全然知識も無ければ、調査もしていませんでした。知っているのは2フィート6インチ軌間だと言う事だけでした。
国鉄のホームにくっついた形で、井笠鉄道のホームがありました。国鉄のレールが、軌間のちがう井笠のレールを平面で交差して貨物ホームに入っていたり、なかなか面白い線路配置(下図)となっていました。この図のすぐ右には踏み切りがあり、線路は少しカーブして2本ほどの側線(たいがい気動車とか、客車が留置してあった)の中を抜け、小さな鉄橋を渡って右に曲がり家並みに吸い込まれて行きます。

1958年4月、軽便専用のノートに記した略図です
文字が小さく読み取り難いと思いますが、お許しください
笠岡駅に留置してあった有蓋車のホワ5です。いかにも軽便って感じの好ましい形です。向こう側に国鉄の蒸気機関車が見えています。D51かな?信号所は国鉄のもの、そして、こっち側のレールも国鉄です。右のほうに平面クロスがありました。
そして、小さなターンテーブルには水が溜り、あんまり使ってないように見えました。当時でも単端式の気動車は居ましたので、場合によっては、方向転換が有ったかも知れません。小さなポイントの梃子が見えています。井笠鉄道のポイントで、信号と連動になっているらしく、ワイヤが見えます。そして、ワイヤの端にはウエイトがついていました。


可愛い連動装置
やがて、やってきた
6時35分発の何処行き忘れましたが、ホジ1なる気動車に乗り込んで、一駅だけ乗ることにしました。ホジ1はHゴム使用のモダンなクルマでした。なにしろ、これから四国へ渡らねばなりませんので、あまりのんびりはしていられません。
ところが、これが大当たり。次の駅には車庫。工場があったのです。駅の名前は『くじば』、困った事に「ば」は「場」なんですけど、「くじ」は「門構えに亀」です。IMEに入ってないので、書きようが無いのです。まあ、その「くじば」で
降りました。少々、くどくなりますが、『くじ』の字のお話。漢和辞典に依れば、『鬮』の俗字が『門構えに亀』なんだそうです。
鬮場ですね。
まあ、そんなこんなで、笠岡から
、数分、気動車ホジ1に乗り次の「くじば」駅で
下車。ここで列車の交換。笠岡行きの列車は、通勤通学客を満載して、薄煙を残して走り去って行きました。

これが、「くじば駅」の配線略図です。当時書いたノートにも、自信無さげなコメントがついております。
たぶん、こんな配線だった筈ですが・・・・少々、あやしい。

左が笠岡、右が井原です
「くじば駅」の井原行きのホームの向こうは工場で、有蓋緩急車ホワフ4が見えました。その向こうに輪軸がいくつも見えます。こんな風景も軽便を感じます。それにしましても、この右奥に、蒸気機関車を含む宝の山が有った筈なんです。何故、入って行かなかったのか、撮影してなかったのか、わかりません。惜しいなあ!残念だなあ!
この、ホワフは、形が大いに気に入って、その後、模型化し、私が社長(?)をしております『城南鉄道嶺町線』の『ホワフ1』として、40年以上経った今でも、保存してあります。

駅舎わきの側線には、ホテト28なる、側板がスチールの無蓋車がとめてありました。
「くじば駅」の外に出て少し歩く。30分もしないうちにやって来た、列車で、笠岡に戻りました。もう、超満員で、やっと乗れましたっけ。

笠岡に戻って、山陽本線の列車を待つ
約1時間、笠岡駅前の市場なんか歩き回ったような記憶も、おぼろげながらあります。そして、山陽本線のお目当ての列車の発車時刻も近くなり、ホームに入っていますと、井笠鉄道の列車が到着しました。
当時の最新式の気動車で、確か『ホジ1形』。のちのホジ100形でしょうか。もう、超満員状態でした。

そして、多分、各駅停車に乗って、岡山に行き
宇野線、宇高連絡線、土讃線で土佐の高知へと旅は続きました
このときも、折角通った岡山・茶屋町駅なのに
西大寺鉄道と下津井電鉄には立ち寄らず
ほんとに惜しい惜しい!!
私の友人、はーさんのホームページに
1960年の井笠鉄道の旅行記が写真とともに出て居ります
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